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埋蔵文化財調査事務所

遺物展示室一覧

下土居北門遺跡出土縄文土器1

遺跡 下土居北門遺跡
場所 岐阜市下土居字北門
時代 縄文時代晩期
大きさ 口径17cm・胴部径29cm・高さ21cm(残存)
解説 縄文土器2と共に出土しました。胴部に対して口縁が小さい壺形の土器で、外面に文様はありません。縄文土器2と同様、胎土の厚さは1cmありません。土器棺の可能性がありますが、胴部に煤がついていることから、煮沸具として使用した後、転用したと考えられます。
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下土居北門遺跡出土縄文土器2

遺跡 下土居北門遺跡
場所 岐阜市下土居字北門
時代 縄文時代晩期
大きさ 高さ20cm(残存)
解説 縄文土器1と共に出土しました。口縁部と胴部には、粘土を細いひも状にして貼り付けた文様が数本ずつ巡っています。土器の厚さは1cmもなく、当時の土器製作技術の高さがうかがえます。土器棺の可能性もあり、縄文土器1に蓋をするために使用されたのかもしれません。
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正明寺城之前遺跡出土陶製狛犬

遺跡 正明寺城之前遺跡
場所 岐阜市下土居字正明寺
時代 戦国時代
大きさ 高さ32cm
解説 屋敷地の境に造られる溝(区画溝)から出土しました。15世紀の終わり頃に愛知県瀬戸地方で作られた焼き物です。中は中空で、接地部分以外に鉄釉が塗られています。大きく口を開けた「阿行(あぎょう)」で、飛び出した目、とがった耳、細かい毛並みの表現、三つ叉に分かれた尾など細部にわたり丁寧に作られています。神社などの宗教施設に奉納するために、特別に注文され、製作された物と考えられます。
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正明寺城之前遺跡出土漆器椀

遺跡 正明寺城之前遺跡
場所 岐阜市下土居字正明寺
時代 戦国時代
大きさ 口径14cm・高さ6cm
解説 屋敷地の境に造られる溝(区画溝)から出土しました。本体はサクラ属の木を使用して製作された椀で、表面に黒漆(うるし)が塗られています。その上に赤漆で文様が描かれています。内面底部には木が、外面には、鳥と木が2つずつ描かれています。
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正明寺城之前遺跡出土漆器皿

遺跡 正明寺城之前遺跡
場所 岐阜市下土居字正明寺
時代 戦国時代
大きさ 口径8cm・高さ3cm
解説 屋敷地の境に造られる溝(区画溝)から出土しました。本体はトチノキを使用して製作された小皿で、表面に黒漆(うるし)が塗られています。その上に赤漆で扇子が描かれています。
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正明寺城之前遺跡出土柄杓(ひしゃく)

遺跡 正明寺城之前遺跡
場所 岐阜市下土居字正明寺
時代 戦国時代
大きさ 口径11cm・高さ9cm
解説 屋敷地の境に造られる溝(区画溝)から出土しました。曲げ物で、側板に底板と柄が組み合わさることから柄杓だとわかりました。側板と底板はヒノキで製作されています。柄は容器内を横断するように付けられています。口径に対し、やや深めの形をしていますが、水などはそれほど多くの量は入らないようです。
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正明寺城之前遺跡出土墨書土師器皿

遺跡 正明寺城之前遺跡
場所 岐阜市下土居字正明寺
時代 戦国時代
大きさ 口径12cm
解説 屋敷地の境に造られる溝(区画溝)から出土しました。皿としては、この時代に出土する一般的なものですが、底部に墨で文字が書かれていることが注目できます。「妙永せん」と読むことができますが、文字の意味や、皿の使用目的は不明です。写真の他に「妙先」「十七日」などの文字が書かれた土師器皿が十数枚出土しています。
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鷺山仙道遺跡出土坩堝(るつぼ)

遺跡 鷺山仙道遺跡
場所 岐阜市下土居字乙井
時代 戦国時代
大きさ 口径3cm・高さ9cm
解説 坩堝とは金属の原料を溶かすための道具です。この坩堝には、取手が2ヶ所に付き、また口縁部は胴部に対して小さいことから、飛散しやすい金属の溶解に使用していたようです。内面は肉眼では何もついていないように見えますが、分析の結果、亜鉛が多く検出されています。形態、使用方法ともに注目できる遺物です。鷺山仙道遺跡では、写真の他にも、銅製品の鋳造作業に関連した遺構や遺物が多く見つかっています。
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鷺山市場遺跡出土銅鏡(どうきょう)

遺跡 鷺山市場遺跡
場所 岐阜市鷺山字市場
時代 平安~鎌倉時代
大きさ 直径12cm、厚さ1.5cm
解説
「瑞花鴛鴦五花鏡(ずいかえんおうごかきょう)」と呼ばれるものです。五弁の花のような形をしており、鏡背には瑞花(豊年の吉兆となる想像上の花)唐草文と鴛鴦(おしどり)が意匠されています。これらの文様は、12世紀前半頃に製作されたものと推測されています。
鏡は箱に納められ、意図的に埋められていたと考えられます。一緒に埋められていた焼きものは12世紀の終わりから13世紀初めのものです。
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※写真の上にマウスカーソルをのせると、鴛鴦が強調されます。

鷺山市場遺跡出土鏡箱

遺跡 鷺山市場遺跡
場所 岐阜市鷺山字市場
時代 平安~鎌倉時代
大きさ 直径12cm
解説
鏡を収納していた箱の蓋です。箱はアスナロ属の木を使い、曲物のように円形に作られています。大きさは鏡がぴったりと納まるもので、専用のケースといえます。
箱の表面には黒漆が塗られ、金属の粉を溶かした漆で絵が描かれています(蒔絵・まきえ)。絵は下半に水辺の風景と、そこに立つ水鳥が3羽、上半には鳥が飛ぶ姿が表現されています。
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写真の上にマウスカーソルをのせると、絵が強調されます。

岐阜城千畳敷遺跡出土鋳型(梵鐘)

遺跡 岐阜城千畳敷遺跡
場所 岐阜市大宮町(岐阜公園内)
時代 室町時代(15世紀半ば頃)
大きさ 直径約12cm
解説
梵鐘(ぼんしょう・お寺のかね)の鋳型(いがた)です。梵鐘は土で作った型(鋳型)に、溶かした銅を流し込んで作ります。写真は撞座(つきざ)という、鐘を鳴らすときに木が当たる部分です。
岐阜城千畳敷遺跡は道三・信長が居館を建てたことで有名ですが、それ以前は寺であったことが明かとなった貴重な遺物です。
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岐阜城千畳敷遺跡出土打刀

遺跡 岐阜城千畳敷遺跡
場所 岐阜市大宮町(岐阜公園内)
時代 戦国時代(1567年直後)
大きさ 長さ112cm
解説
信長による岐阜城攻略直後に造成された土の中から出土しました。大量の炭や火災で焼けた陶磁器と一緒に出土しています。ほぼ水平に埋まっていたことから、意図的に置いたものと考えられます。
刀は錆(さ)びていますが、錆の上に漆の膜(まく)があり、部分的に木材も張り付いていました。このことから黒漆を塗った木製の鞘(さや)に収められた状態で埋められていたことがわかります。
刀の握り手の部分には鮫皮(さめがわ)も残っており、握り手と刀身を固定する目釘(めくぎ)があります。鐔(つば)は鉄製で、脇には笄(こうがい)が装着されていました。右下の写真で緑色に見えるのは、鞘と刀身を安定させるためのハバキというパーツです。
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加納城跡出土漆器

遺跡 加納城跡
場所 岐阜市加納二之丸
時代 江戸時代
大きさ 直径約14cm・高さ2.5cm
解説
加納城跡二の丸には城主の御殿がありましたが、その敷地の一角から出土した漆器(しっき)の皿か蓋(ふた)です。
本体は木で作られ、その表面に黒漆(くろうるし)が塗られています。さらに漆面を浅く彫り、金箔や金粉を埋め込む「沈金」(ちんきん)という技法で、鶴が描かれています。
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