岐阜市の遺跡
岩田東A遺跡
場所
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岐阜市岩田西1丁目ほか
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主な時代 遺跡の種類 出土品 |
弥生時代
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集落・
墓域
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竪穴建物跡・方形周溝墓
弥生土器(中期朝日式・貝田町式・高蔵式・条痕文系・沈線文系、後期欠山式)・石器(石庖丁・砥石など)
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古墳時代
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集落・墓域
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前方後方形周溝墓・竪穴建物跡・溝など
土師器(古式土師器・二重口縁壺など)・須恵器
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古代
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集落
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竪穴建物跡・溝など
土師器(濃尾型甕など)・須恵器・灰釉陶器 |
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中世
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集落
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溝など
山茶碗・土師器皿など
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報告書
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『(財)岐阜市教育文化賑興事業団報告書第20集 岩田東A・岩田西遺跡 ―市道ミイソ川原畑線道路改良工事に伴う緊急発掘調査―』 『平成19年度岐阜市市内遺跡発掘調査報告書』 『平成21・22年度岐阜市市内遺跡発掘調査報告書』ほか |
詳細
岩田東A遺跡は、岐阜市の東側、長良川左岸に展開する、標高約32mの低位段丘面上に立地している、弥生時代から中世にかけて営まれた遺跡です。昭和2年に弥生時代中期から後期の弥生土器と石庖丁が採集されており、『岐阜市史』では「岩田遺跡」として報告されている遺跡です。
平成20年度より市道ミイソ川原畑線拡幅に伴い発掘調査を実施した結果、弥生時代から中世までの遺物が出土し、主に弥生時代中期から古墳時代初め頃にかけての遺構が多く見つかりました。
調査範囲の東側では、弥生時代中期から後期頃の住居(竪穴建物跡)が見つかっており、集落が営まれていたようです。弥生土器のほか、住居の中や周辺から、当時の人が用いた石庖丁や砥石などの石器が出土しています。
その後、調査範囲の西側では、周囲に溝をめぐらせる四角いお墓、方形周溝墓とよばれるお墓が複数作られるようになります。弥生時代末から古墳時代初め頃には、長良川をのぞむ高まり(段丘上)に墓域が広がっていることが明らかとなりました。方形周溝墓の溝のなかには、墓に供えられていた土器(供献土器)が多く出土したほか、壺2点が組み合わされた状態で見つかりました。亡くなった人を埋葬するため、利用した可能性が考えられます(土器棺)。
このほか、前方後方形周溝墓とよばれる、長さ20m以上の大型のお墓も見つかりました。古墳時代初め頃のお墓で、装飾の多い特別な壺(二重口縁壺)が供えられており、この地域でもかなりの有力者が埋葬された可能性があります。
古墳時代後期以降になると、再び住居が作られ始め、墓域から集落へと変わっていったようです。